有節萬古 看板
萬古焼の復興
独自の作風の確立
天保3年(1832)、古萬古の窯と同じ小向村にて、森予五左衛門有節(初代有節、1808〜1882年、堂号は、摘山堂)は、弟の与平(森千秋、1816〜1861年陽楓軒)と共に窯を開いた。有節24歳、千秋16歳のときである。彼等が復興した萬古焼は古萬古の作風を踏襲しつつも独自の作風を作り上げ、その作品は古萬古に対して「有節萬古」と呼ばれるようになった。
有節萬古の特徴の一つに、煎茶道具の急須がある。江戸時代末期の煎茶の流行と共に煎茶道具の受容が増えたため、その代表的な急須の生産を目指した。
有節萬古
織部写蝶文香炉 緑釉片口鉢 緑釉型萬古急須
有節萬古
了入写黒楽茶碗蒸 交趾写獅子香合 青秞笠午香合 交趾写午香合
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