第5節 創生期の状態
1 開拓した人々
明治四、五年ごろになると山中忠左衛門の研究も事業化し堀知直も来て三ツ谷から水車町、川原町方面にその関係者も次第に増してくると窯を開く者も出来てきた。明治十年ごろまでに開窯した人々は左の様である。
鳥居町 伊達 嘉助 中島直次郎 花井新兵衛
川原町 中山 源七 小林 政吉 後藤 伝七
太鼓町 蔀 庄平
水車町 森 正吉
三ツ谷 水野 勝造
浜 田 生川 善作
南川原町 田中 治助
然し製造する者は出来たが販路がこれに伴わないので生業は微々として振るわず殆ど廃絶に瀕していた
川村又助はこれを嘆き明治八年問屋を開業し販路の開拓とこれが海外輸出に意を注ぎ、また品位向上のため技術徒弟養成の法を講じ業者を統括し、業界の振興に全力を傾注した。勿論その頃は鉄道の便なく製品を籠に入れ天秤棒で担ぎ徒歩で信州から上州、越後方面まで行商した。また関東方面は船便で四日市港から横浜に着け陸路関東一円を歩いた。当地の商人のみではない、各地から買い物にきた者である。
2 創生期の原料及び製品
凡そ陶器の生産地はその地の原料に依存して発達した瀬戸・美濃・伊萬里・伊賀・九谷等皆同様である。萬古焼も弄山から有節桑名萬古と皆、小向村(朝日町小向)や柿村の土であって四日市萬古も最初はこの土を運んでいた。のちに垂坂山や羽津村にもこれと同質のものが出る様になってこれに変わった。これ等萬古焼の原料は他の陶器に比較して非常に粘力が強い。この強い粘力を利用し有節の考案した技法で極めて精巧な製品を作ることはその道のもので驚くほどのものである。これが萬古焼の伝統的技術となって今盛大な輸出作品を作る基礎となった。室町時代から江戸時代と長い間武士や町人の有産階級に流行した抹茶は維新の変革から一般生活が簡易化されて煎茶に代わり庶民の間に大きく流行した。このときに萬古焼の茶器が生まれてうまく応じた。しかも萬古焼は旧来の陶器と趣を異えて茶人の嗜好に適した。
これが萬古焼を急速に発展せしめた大きな原因である。従ってこのころの製品は茶器(煎茶器)を第一とし花器・食器等であった。また製作の方法は木型製のものが多く次いで手捻り物轆轤製は少ない。最も初期の原土は生素地師が各自に羽津村別名辺で採掘した粘土を肩で運び、樽屋瓶で手漉坏土を作った。そのため土質がまちまちであって不揃いであった。土屋という専門業の出来たのは明治十七、八年ごろからである。
3 技術の移入者と名工
創生期(幕末から明治十年ごろ)の技術は大体下記の系統である。(一)有節萬古系(桑名萬古を含む)
イ、木型による急須の製法(有節発明)
ロ、手捻り製法。
ハ、陶祖弄山の遺した赤絵の方法。
二、有節の発明した白絵盛り上げの画法及び腥臙脂薬。
(二)伊賀焼系統(上嶋庄助系の益田佐蔵等によるもの)
手轆轤の製法(花瓶・菓子器・蓋物等)
(三)赤坂系統。清水平七(号温故)によるもの 現在赤土急須の祖
明治十四、五年後ろに。
(四)土岐津の平物技術(線茶碗・湯呑等)
明治二十年ごろに。
(五)常滑朱泥急須の技術(石川寅吉等による)
手轆轤の製法(小型の急須)
明治三十四年ごろに。
(六)伊賀焼土瓶の技術(宮田冨吉等による)
手轆轤の製法(大型土瓶)
画工の系統は大体次のようである。
(一)桑名系統(花の舎)
有節が師事した「花の舎」の大和絵風の草花を写実的にまた図案 化して彩画した。これは萬古焼の一貫した画法である。
(二)四條派系統
磯部百鱗門下 田中百桑・水谷百碩・坂井櫻岳等による。
明治三十年ごろから前記の三名によって四條派の絵を応用し、そ れまで本画師に欠けていた萬古焼に精彩を加え品位の向上を図った。
(三)諸国の画風
山中忠左衛門が研究を始めた頃からここは東海道筋で、通り掛かりの渡り職人(画工)や絵師にも一宿一飯を与えてそれ等の技術を色々の形で移入している。
技術の移入について大正焼き発明以後のことは次項にのべる。
次は萬古焼の名工を挙げてみたい。然し、名工については各異説があって決し兼ねるが大体次にあげる人々には依存がないと思う。陶祖弄山や有節また、その弟の千秋は名工中の名工であるが、この人々は桑名の人である。四日市萬古で先ず第一に挙げるものは即ち三助である。
圓 相舎 小川 半助(手捻り茶器)
萬里軒(角利) 山本 利助(人物造形)
豊 楽 伊藤 豊助(動物造形)
型萬古の名工は
八 三(ヤサ) 伊東弥三郎・伊藤 庄蔵
轆轤師としては
益田 佐造
栄 山 石田 栄吉
手捻り師
無限楽 (姓名不詳)
黒木舎 富山 士郎
蓮隠居 渡辺
日出野 嘉助
細工物師(川村組友禅の作者)
合羽屋 谷村太右衛門
画工は
田中百桑
水谷百碩
坂井櫻岳
その他、市村廉次 長崎吉蔵 水越与三郎 水谷卯橘
市村廉次は桑名藩士で古いころ海蔵学校に教鞭を執tタコとがある。明治の末期から大正以後の名工に就いては後世史家の批判に候こととし割愛する。
第五節はここまでです。
今日は時間いっぱいになりましたのでここまでです。次回は第六節です。