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今だからこそ70 四日市萬古焼史 写真編


カラー写真解説 35〜54

 

写真35 四日市萬古(明治)

     木型作り波濤文急須 伊藤嘉助作 H8cm

伊藤嘉助も四日市萬古焼の古い工人である。互角の型急須は異形である。異形にあるいやらしさは無く、金彩を施した波濤の浮き文は品位がある。

 

 

 

 

写真36 四日市萬古(明治)

     ロクロ作り赤土土釜 益田佐造 H13cm

佐造は信楽から来て上島庄助窯で働いたロクロ師である。のち山中忠左衛門の指導でロクロの名手となる。この土釜は ”益田の松皮”  と言われた松皮肌に作られている。適確な水挽きと、冴えた仕上げは他の追随を許さない。

 

 

 

 

 

 

 

写真37 四日市萬古(明治)

     山中製コーヒー盌  H6cm

山中製の輸出用の製品である。施釉の上に白盛りでバラの花が描かれている。

 

 

 

 

 

 

真38 四日市萬古(明治)

     ロクロ作り赤土急須  山中一左楽作 H5cm

明治20年頃より盛んになったロクロ製赤土急須の代表的なものである。山忠二代目の一左楽は赤坂直伝と思われるロクロの巧みさを示している。彼は晩年軟陶のいろいろな作品を遺している。

 

 

 

 

 

 

 

 

写真39 四日市萬古(明治)

     掘製ウズラ土瓶  高さ12,5cm

掘友直窯はウズラの土瓶、急須、蓋物等を作り出している。その中でも大型の土瓶で精作である。明治初年の良心的な量産品。絵付けは明治の四日市萬古焼に多い鶴が白盛りされている。掘窯の自信作。土型製。

写真40 四日市萬古(明治~大正)

       掘製 魚づくし土瓶(高さ 10cm)

       掘製 面づくし土瓶(高さ 9,5cm)

ウズラと並ぶ掘窯のヒット製品。いずれも土型によるものである。土瓶には木型で作りお面を貼り付けたものもある。ともに奇矯なものである。

写真41 四日市萬古(明治)

         川村製 型紙絵急須 高さ8cm

 

川村窯の製品は多岐であった。木型作りの急須に白子の伊勢型紙による絵付けは、現代にも通ずる粋な製品である。この他練り込み、切嵌め、友禅の急須もヒットした。

写真 42 四日市萬古(明治~大正)

          川村製 福助首ふり置物 高さ9cm

          川村製 ドクロ置物 高さ11cm

川村窯の最高の傑作は首振りの人形である。この福助は首を前後に剽軽に振るものであるが少々小型である。大型のものは商店の店飾りとして人気抜群であった。顎の動くブック上のドクロは少々グロである。福助は土型製であるが、ドクロは鋳込みであるため時代の下がるもの。

写真43 四日市萬古(明治)

     生川製紐編み菓子鉢 D17、5cm

生川窯が沢山産出したものである。色々な図柄のものがあり、中央の色紙のところに陸海軍の凱旋記念を記したものさえある。同様のものが川村窯でも作られた。

 

 

 

 

 

 

写真44 四日市萬古(明治)

     手捻り盛盞瓶 花井新兵衛作 H23cm

四日市萬古焼初期開業者の一人である花井新兵衛が晩年手慰みに作ったものである。素人っぽさのある作柄であるが、さすが永年四日市萬古焼の中で苦労した人だと感心させられた。

 

 

 

 

 

写真45 四日市萬古(明治)

     半磁式硬質陶器染付鉢 水谷寅次郎作 D17cm

大正焼の産みの親水谷寅次郎、碧山は当初硬質陶器を目指していた。その結果生まれた最初の自信作である。大正焼より上質であり、一個の染付作品として鑑賞に値するものである。明治43年春頃のもの。

 

 

 

 

 

 

 

写真46 四日市萬古(昭和)

     大正焼花鳥文大花瓶 H51cm

大正焼は半磁器の分類に入れられているが、四日市萬古焼独自のものである。釉下に色絵して焼成されるものである。大正焼の欠陥である肌の黄色、嵌入、吹きが完全に克服されている対策である。

 

 

 

 

 

 

 

写真47 四日市萬古(大正〜昭和)

     大正焼人気製品 口16cm

写真の品は全て昭和の製であるがこれと同類のものが大正から昭和にかけて作りに作られた。

 

 

 

 

 

 

 

 

写真48 四日市萬古(昭和)

     刷毛目平茶盌 清水楽山作 口16cm

楽山(1894〜1969)大正焼に失敗した彼は、京都、丹波、備前、生駒と修行して昭和17年開窯、茶盌作家となり、茶道遠州流家元小堀宗明の御用窯と生る。この刷毛目茶盌は本歌に迫るものがある。茶等の写しから出発した古萬古の正統とも言える。

 

 

 

 

 

 

 

写真49 四日市萬古(昭和)

     結晶釉の壺 初代 岸園山作 H20cm

図案家であった園山(1895〜1960)は新しい釉薬の研究家でもあった。近代的センスの横溢した彼の結晶釉の作品は四日市萬古焼の未来の可能性を暗示するものである。彼には木型による急須の作品がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

写真50 四日市萬古(昭和)

     青磁大皿  飯田陶夢殿作 口36、5cm

陶夢殿飯田貞重(1896〜1977)は千葉県出身で日本陶器に育った陶芸家である。青白磁を得意とし、県の無形文化財となり、県陶芸界に君臨した。萬古焼は芸術品ではないと言う彼の持論は、萬古焼に対する痛烈な渓谷であった。彼は生涯萬古焼の特異性を理解し得なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

写真51 四日市萬古焼(昭和)

     梅鶴絵大花瓶  人見洞永作  H31、5c

洞永は四日市市川原町生まれの陶芸家である。一時京都に学んだが、生涯古萬古、有節萬古の写等色絵ものを作った。本来ロクロ師。この花瓶の絵は芳山の署名がある。戦後工業試験場勤務。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真52 四日市萬古(昭和)

     源氏絵花瓶  横田深山作  H23、5cm

 

桑名出身の深山(1930〜1978)は森翠峯、加賀月華に師事した。繊細華麗な彼の盛り絵はいろいろな画法を折中したものである。この花瓶は相当の日数をかけて丁寧に絵付けされた遺作である。彼は晩年市の無形文化財に指定された。

 

 

 

 

 

 

 

写真53 四日市萬古(昭和)

     手捻り急須 初代笹岡春山作 H5cm

春山(1893〜1965)は四日市萬古焼の手捻り作家の生き残りであった、明治の三助とは異なる彼独自の作品は、自由気儘な彼の性格から出たものである。飄逸なこの急須は一部煎茶家垂涎のものである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真54 四日市萬古(昭和)

     狸型大急須  清水酔月作 H13cm

酔月(1901〜1990)は現代の四日市萬古焼中のロクロの第一人者である。市の無形文化財に指定されている。この作品は趣味的なもので、実用ではない。彼の実用の急須の仕上げ仕事は完璧で、後進の指針である・