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萬古歴史を学ぶ グランマ数馬メモ20


マイスター

こんにちは

 

 

この写真は、資料コーナーにありますマイスタープレートです。

 

 

四日市ばんこ焼の技術者のみなさんの顔写真とお名前が円盤に飾られています。

 

 

知らない方ばかりですが、このお一人、お一人の歴史をひも解いたら

 

 

いったい、紐はどれだけ長くなるのでしょう・・・・・とか思いをはせています。

 

 

 

焼け跡からの復興

 

 

昭和20年6月18日の大空襲で萬古焼の製造設備の8割と

販売業者の施設の殆どが消失した。

 

 

残ったのは羽津、阿倉川地区のみ・

 

 

終戦後の物資不足とインフレの中、被災者も元の地区に帰り

生産を始めた。

 

 

戦後の好況と業者の熱烈な復興心によって瞬く間に

戦前の勢いを取り戻した。

 

 

中でも相次ぐトンネル窯の製造、白雲陶器の完成は

特筆すべきである。

 

 

戦後の製品の変化

 

 

戦後輸出向品は国際関係上各種の制約を受けて

伸び悩んでいたが、米国向けの品は、徐々に活況を呈してきた。

 

 

 

昭和23年白雲陶器の大量生産に成功したこと等が終戦における

「ボンチャイナ」の製品化に成功したことなどが

戦後における四日市陶磁器工業の発展に少なからず貢献した。

 

 

しかし製品の中心は大正焼の系統をひく半磁気であり、玩具や

置物などのノベルティ生産が伸長していた。

 

 

 

植木鉢

 

植木鉢

 

 

 

 

 

 

時代のニーズに応える萬古焼

 

 

戦後の混乱期が過ぎて、どの家庭にも平和と生活の安定が

訪れたのであろうか、盆栽愛好者も次第に増え、植木鉢の需要が高まった。

 

 

又、家庭の必需品としての鍋、食器の新たなる製品開発を推し進め

四日市萬古焼の最も誇りとする商品に育てあげた。

 

 

他にも 終戦となるやいち早く生産を開始し、

花器類が安定した全国シェアを占め、昭和50年代には、80%に

達しようとしている。

 

 

他に皿鉢、急須等生活と密接に結びついた生活陶器を生産している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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