さて、四日市ばんこ焼の歴史もいよいよ産業としての力を持つようになってきた大正時代にはいります。
上の写真は、本日の主役、大正萬古の創案製作者の水谷寅次郎さんです。
困窮するなか、妥協を許さず新製品を開発した功労者ですね。
ワクワクしています。
大正焼
明治末期になると、盛業であった四日市萬古も不況に悩むことになった。
これを新製品を開発することによって打開しようと
西洋の硬質陶器の研究が始まった。
日露大戦争で現物を実見した水谷寅次郎は長年の苦闘の挙句、
石炭窯による簡単な半磁器式特殊硬質陶器を生み出した。
ちょうど改元の時であったので、大正焼として売り出し大成功した。
大正焼の開発と展開
成功した大正焼は、火鉢、水盤、大型土瓶に特性を発揮した。
明治末の萬古業界の不況を打開したいとの念願から
水谷寅次郎が生み出した大正焼は、はじめは品質が悪く
使用に耐えないものが出た.
大正初年にやっと製品の安定をみたが、それまでの15年間は、苦闘の連続であった。
原料も当地より単味粘土を、各地から移入の調合原料となり、
松割木を燃料とする登窯から石炭を燃料とする倒焔式の石炭窯に変わった。
製品の販路は爆発的に拡大した。
機械化の促進
成功した大正焼は、火鉢、水盤、大型土瓶に特性を発揮した。
土瓶は全国陶産地の第一位を占め、水盤は競争品なく独占的であった。
急増した需要に応えるための量産には、製造工程の機械化が必須である。
まず、美濃、瀬戸からロクロが移入され、
石膏型使用による流し込み成型法、圧縮機による製土、
プレス機による厚鉢作りの法が取り入れられた。
さあ、なんだか身の引き締まる思いです。
もっともっと、深く知りたくなりますね。
次回をお楽しみに!!
ばんこグランマ 数馬桂子