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今だからこそ32 (八)四日市萬古焼 6明治期の四日市萬古焼の原料


 山中忠左衛門の試作期には、有節萬古の主原料である朝日町小向の名谷山の白土、赤土を取り寄せて使用していたようであるが、その後、垂坂山や羽津にこれと同質の土のある事が判り、ほとんどここの土を使用する様になった。この原料粘土は、他産地のものに比べ緻密で、格別粘着力が強いのが特徴であった。

 この原料の製法は、先ず、原土を精撰して太陽に曝してよく乾燥し、これを「ロク」(酒屋の仕込樽の古物)に入れ、水を浸しておおよそ20時間、よく溶解したところで、木 で攪拌する。大きな甕に絹 をかけて、その上に注入して篩う、これで不純分を取り除く、十五時間すると沈殿する。そこで水を捨てた後の泥漿を素焼きの瓶、または、瓦に盛って吸水と天日で適度に乾かして出来上がる。

 当時は、こんな行程であった。

 この粘土を一年間ほど蓄えてから使用すると、粘度が高くなって、薄作りに最適であった。

 この白土、赤土はほとんど単味で使用されていた。

 明治初期には、生地師がめいめい勝手に羽津別名で採土して、前記工程による処理をして使っていた。その為土質はまちまちであった。

 明治十八年頃には、土屋という専業者が出て、この不統一は是正されるようになった。

 「製陶法雑集」に明治十一年頃の各種陶器材料調和の分量比例として次の記載がある。

①   不透明白色陶器    朝明郡羽津村粘土を用う
② 鼠赤褐色陶器      朝明郡一色村水垂粘土2分、同郡、羽津村粘土8分
③赤褐色陶器       朝明郡小向村粘土を使う
④薄灰色陶器堅質の分   朝明郡羽津村粘土4分、小向村粘土4分尾張国産蛙目土玻璃質2分
⑤黒赤褐色陶器尋常の分  朝明郡小向村黄色粘土7分、同地産白色粘土3分
⑥純白色半透明陶器    尾張産石粉(水晶を砕粉せしもの)8分、国産廣見石(長石を砕粉せしもの)2分

実際は、複雑な混合土は使われず、① 、②が通常使用のものであったと思われる。

四日市萬古焼の一番初めの人、田畑教正師の白磁茶盌を紹介したが、それは、⑥に依るものであったかも知れない。

 四日市萬古焼の明治期の原料の主力である白土、赤土についてもう少し詳しく記して見よう。


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