桜便りでいっぱい になってまいりました。
我が家の桜はまだ蕾が固く・・・
いつのまにか 春です。
有節萬古の続きです。
次に有節萬古の後継者並びに関係者を記します。
「二代 有節」 通称勘三郎、初代有節の三男、嘉永元年
(1848年)生。父の遺業を継ぐも、兄修輔の負債の後始末をさせられた。明治四十四年(1911年)歿六十四歳。
「三代 有節」 通称俊男、明治十八年(1885年)生、
二代長男、父の業を継ぐ、専ら家伝を守り外来の釉薬を用いず、有節萬古の伝統を堅持した。昭和十六年(1941年)歿年五十七歳
「四代 有節」 三代長男、通称一男、昭和二十四年(1949年)歿三十七歳
「五代 有節」 三代三男俊治、昭和三十五年(1960年)歿三十五歳
「森 修輔」 初代有節二男天保十二年(1841年)生、
桑名広瀬与左衛門の鍋に釉薬を施し、現今の琺瑯鉄器の先駆をなした。その最初の工場は、有節の釜場であって、
その作業は修輔の担当であった。彼は指物にも非凡であったが、野心家で味噌醤油の醸造に手を出し、家財を傾けた
その後始末は二代がやった。 大正四年(1915年)歿、八十四歳
「森 玄次郎」 二代有節の甥で初代有節以来の画工で
あった。
以上で有節の項は終わります。
ばんこグランマ
1960年まで 有節の窯があったということ、初めて知りました。有節、千秋兄弟のあとに、何代もの有節が継承されていたこと、その作品に巡り合えること、希って次に進みます。