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今だからこそ 69 四日市萬古焼史 写真編


カラー写真解説24〜34

 

 

 

写真 24 有節萬古 (幕末〜明治)

      木型作り千秋作青磁桜花文急須 H11cm

 

 

先週は初代有節の弟で、また名工と称された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真 25 四日市萬古(幕末)

      海蔵案窯家型香炉 H12cm    田端教生作

 

 

文政12年に信楽の陶工上島庄助と共に東阿倉川に開窯した唯福寺の住職田端教正の作である。教正師は唯福寺境内に別に窯を作って色々な陶芸を試みている。志野釉の施されたこの香炉は無印であるが、唯福寺に教正師自ら作陶したものとして伝えられている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真26 四日市萬古(幕末〜明治)

     海蔵庵窯上絵蓋茶盌 田端教正作 内田又造絵 H7、5cm

 

 

この磁器製の茶盌については、本文69頁に洋述した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真27 四日市萬古(幕末)手捻り急須 

     丁未岡山銘 H 7cm

丁未とは弘化4年に当り、岡山は垂坂山の古名である。この急須の事は本文71頁に記した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真28 四日市萬古(幕末〜明治)

     手捻り蓮急須 蓮隠居作 H6、5cm

元大垣藩士の渡辺蓮隠居の作品は、今のところこの一点のみが知られている。厚作り赤土の作である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真29 四日市萬古(幕末〜明治)

     手捻り急須 H7、5cm    無限楽作

盲人岡本城峯、無限楽の作品は紙のように薄い。手に持つとその重さを感じさせない程である。この急須は白土に赤い火色が出ている。不完全な窯のため一部酸化したものと思われる。無限楽の作品は極めて少なく四日市市内に5指に足りない数が知られているだけである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真30 四日市萬古(明治)

     手捻り狸つまみ土瓶 小川半助作 H13cm

煙草屋小川半助、円相舎の18番狸つまみの土瓶である。円相舎の作品は急須が多く、土瓶の優れたものは少ない。無限楽同様の薄作りである。規則正しいシモンの跡の作り出す器形は、力強い。明治初年の四日市萬古焼の手捻り技の頂点を示す優作である、絵付けも上品。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真31 四日市萬古(明治)

     手捻り子犬置物  伊藤豊助作 H12cm

宿屋の主人伊藤豊助、晩成堂は、動物の陶彫が上手であった。白い子犬が2匹たわむれている。あどけない表情、首巻きのチリメンが如何にも明治調である。丸々と太った子犬の動作を巧みにとらえている。豊助作品中一番親しみを覚える秀作である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真32 四日市萬古(明治)

     手捻り急須 山本利助作 H8cm

小間物屋山本利助、萬里軒は前二者と共に手捻りの名工四日市の三助と謳われた中のリーダー格であった。半助、豊助が白土の味を充二分に生かしたのに反し、この急須は施釉されている。”くろうと”好みの大胆な作振りは、むしろ厚めで洒脱な味に富む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真33 四日市萬古(明治)

     木型作りガイコツ文急須 中山孫七作  

四日市萬古焼中初期の開窯者の一人である孫七の木型による精作である。レリーフのガイコツが面白い。晩年の彼は念仏三昧であったと言う。近所の悪童が彼の慈悲に涙したと言う話を伝え聞く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真34 四日市萬古(明治)

     木型作り山水文急須 H7、5cm    伊藤庄造

 

有節考案になる木型による急須作りは四日市で開花した。四日市萬古焼の木型作りの名人として八三と並ぶ庄造の作品は、実に精緻で完璧である。絵は四条派の流れを汲む山水画である。