昨日は、思いかけずに地元FMラジオの 「人と巡りあうたび」番組にださせていただき
ぶっつけ本番でお話しさせていただきました。
そして思いました。
まだ ばんこグランマになって 2か月半だけど、私 かなり一生懸命だなって・・・・
収録してくださった、FMラジオのスタッフさんも、私から 話を聞き出す役の竹腰さんも、
1部、2部と収録をしたのですが、同時のように
「2部目は、すごい熱の入り方でしたね~~~」
「そうですか~?」
「そうそう、けいこさん、顔つきまで違ってた!!」
そう言われて 恥ずかしいような、でもとっても嬉しかったヾ(@^▽^@)ノ
さあ、ばんこ焼 萬古不易 の歴史もがんばるぞ
歴史は明治時代、萬古陶器商工組合が組織されたところまででしたね。
赤萬古
突飛なデザインの明治四日市萬古は、山中忠左衛門、 堀 友直、川村又助らの
努力によって、海外に大量に売り出された。
その原料は、垂坂山を中心にした阿倉川、羽津地区の白土だった。
緻密で 粘着力のあるこの土が、明治中頃に枯渇すると、残る鉄分のある土による
轆轤(ろくろ)製の紫泥急須に製品転換が行われた。
この赤萬古の製法は美の赤坂の温故焼との共同によって生まれました。
だんだん私の見知っているばんこ焼に近づいてますねえ。
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