新年あけましておめでとうございます
このブログは昨年の6月に 私が、四日市ばんこ焼の情報発信基地「ばんこの里会館」初代館長として仕事をはじめて一週間ほどでスタートしたと記憶しています。
何度か、「ばんこの里会館」の運営会議に出席し、これから仕事を一緒にしていくメンバーが、私より年代が若い方が多いということがわかり、ちょっと唖然と・・・なにに唖然か・・・自分が結構な時を重ねてきていることになのです・・・で、もうママではなくグランマだわ・・・とかとかで、ばんこグランマと名乗っております。。
まったく萬古焼のことが無知なわたくしですが、とても楽しく仕事をさせていただいています。
時を重ねるほど知らないことが多く、というか、ほとんど「萬古焼」のことを知らないということがわかりました。
それで学びを少しづつ始めました。
萬古の歴史をさかのぼることは、萬古焼のことのみを学ぶだけでなく、歴史そのものをさかのぼることになり、私は新たな魅力に遭遇しています。
少しづつですが、学びを続けてまいります。
今年もよろしくお願いいたします。
赤絵唐兒象文小鉢 (江戸中期) 高さ、8・5センチ
古萬古はうつくしい 9
麒麟はすでに登場しましたが、今回は象です。
日本にはまったくいなかった動物です。
蘭学オーケーになり、書物で登場したものの写しなのでしょうか。
人物も日本人ではないような服装をしています。
うん?? この人物が 唐兒???よくわかりません・・・・・
ひとつひとつの図柄をしらべていくと歴史がふくらんでくることだと思います。
(二) 古萬古
萬古焼は、桑名の沼波五左衛門弄山が元文年間(1736-1740)に創めたもので、その作品はのちの再興萬古に対し、古萬古と呼ばれている。
沼波家は天正慶長の頃から連綿として続いた由緒ある家柄で、代々五郎兵衛と通称し、船場町に邸宅があり、江戸の店持ちであった。
まず、彼の事績を伝える古い記録として、彼の番頭安達新兵衛筆弄山画像に附された、東京向島弘福寺(黄ヘキ宗)第17世の住職英岩峻和尚(弄山江戸在府当時の参禅師の師)の讃を見てみよう。(原文は漢文)
沼波氏、弄山、 重長は、勢州桑名の産なり。性廉直にして能く人を愛す。ひそかに老仏の玄淵を探り、志林泉に在り。又頻年茶礼を嗜みて、千家の門に遊歴す。
始め勢州に住し、徒に陶器を制す。其形皆雅にして、茶を好む者多くこれを賞翫す。のち居を東武に移し、止むを得ず陶工を業とす。禰来貴公家の命、日を逐うて衆多し。惜しい哉、安永丁酉晩秋、微疾に罷り行年六十を以て没す。今や亡しと雖も、家業愈んもして、萬古の声誉を伝う。陶工の一流は是皆弄山の功大なりと謂うべし。故に其行状誌を顕す。
安永七戌晩秋 現住弘福峻英岩