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安東焼 1


古萬古は美しいと題して、萬古焼の誕生から、江戸での動きなどを学んでまいりました。

ここで軽くおさらい。

萬古焼の開祖である沼波弄山翁は、1718年~1777年の人物である。

本日から 学び始める 「安東焼」は、安永、天明(1772年~1778年)の頃 の話です。

(三) 安 東 焼

1、古安東

 安東焼は、安永、天明のころ 津 で焼かれたもので、当時のものをのちの再興安東 に対して 古安東と呼んでいる。

 ここに阿濃津焼ないし津焼というものがあり、茶書に「南蛮に似る」と記されているが、所見のものは箱に「阿濃津焼」とあり、南蛮写しの水指で作風は古調を帯びていた。

一般に古安東というと、陶法は古萬古風であるが、中に古萬古と違う手法として、素焼きの褐色の素地に絵付けだけ施しているものがある。

 これから考えると、もともと津には南蛮風のものを焼く窯があって、そこに古萬古風の手法が加わった、という見方も出来るわけである。

 

これから考えると、もともと津には南蛮風のものを焼く窯があって、そこに古萬古風の手法が加わった、という見方も出来るわけである。

 

 さて「本朝陶器丂證」に、編者の安東焼に関する問い合わせへの返事として、

 「一、当地安東焼の義、其の後馬島露元方にて、出会の老人向へ承り合わせ候所、爰許御用人服部十左衛門との、下絵なと染筆とて焼はじめ候よし、焼き物師は良助と申し候よし、時代は安永天明年中、窯は織部山と申し候、塔世川の上、愛宕山の西と申事に御座候。

 

 一、休窯に相成候仔細は、此所其頃爰元御勘定役人方、遊宴の場所に相成、妓婦など参り、夫等の事よりと申事に御座候。」

 

と、見えている。

 

 御用人が絵付けに携わるということは、製陶が藤堂候の意にでたものと推察されるもので、専門家の焼き物師は良助という。ところで従来も瑞牙が古安東に関係があるといわれ、現に古安東に「天明八年 浪々瑞牙」銘のものがあるので、この焼き物師良助とはほぼ瑞牙その人と推定されるわけである。

 古安東はいわば古萬古の支流であるから、両者の間に多くの類似があるのはもとより当然である。しかし古安東の絵付けは絵画風で、却って古萬古より勝るものがあるかに思われる時もある。また彫技に秀れた作のあることも、古萬古には見られぬ所である。

 「安東」の銘印には数種ある。

 

辞書を引くに引けない文字がひとつあり!!ダウン

 

仕方なし・・・でいいのか・・・いいわけがありません。ガーンまたまたがんばらねばと意欲をもやしていますが・・・

 

本日も夕刻より寒くなりました。

みなみなさま ご自愛くださいませ。    ばんこグランマ数馬でした。

 

 


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