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今だからこそ 20 (六)桑名萬古 2


桑名萬古1の続きです。

 その他に『山城屋萬古』、『三河屋萬古』等の名が遺って居り、赤松東介、山本数馬、助九郎らの陶工の名も知られて居る。

 これらの桑名萬古は、一部を除き、安価な土産物が目的であって、品質も粗悪なものが多く、(量産のため家内仕事に依存していた)有節萬古とは、比較にならないものであった。

 彼らは、土産物以外に進出しようとする積極性に乏しく、四日市港開設、関西鉄道の開通によって、宿駅桑名が衰微するとともに消える運命にあった。

 明治二十年頃の鉄道唱歌の一説に

    勢州桑名の産物は 萬古の陶器に桑名盆

    時雨蛤そのほかに 白魚漁業の名も高し

この歌の出来た頃は、桑名萬古も終わりに近く、その後関係者は何らかの形で四日市萬古焼に吸収されていったのである。

桑名萬古の項 


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