明治期のユーモア溢れる輸出陶器
四日市萬古のはじまり
四日市市末永の大地主で村役であった山本忠左衛門(1821〜1878)は有節萬古の人気に注目し四日市の地場産業として窯業を興したいと、嘉永6年(1853)に邸内に窯を築きました。これが四日市萬古の始まりになります。
忠左衛門は慈善家として知られ、開窯の理由も、水害による地区困民の救済の為でもありました。
その為地域の人々に呼び掛けをして道具と陶土を与えている指導し、苦労して会得した陶法を、一般公開し、明示6年(1873)には量産体制を確立させました。
やがて四日市港が整備されて、交通網、流通が発達してすると、萬古焼きは海外で向けの製品を考え、製造し、販路を輸出へと広げていきます。
例えば、七福神などのお面をを貼りつけた面土瓶や、日本の風物などをモチーフににした土瓶蒸、鶉や、鴨、象や戌など動物器形の奇抜でエキゾチックな衣装の土瓶や急須などを次々と作りだし、それは大変好評を博しました。
首振り福助と首振り七福神
色絵面土瓶
面土瓶とは土型を使って、いろいろな表情の面をいくつか別に作っておき、木型で作ったら土瓶本体の胴部の全面に面を貼り付けたもの。天狗の鼻やひよっとこの口、恵比寿の冠の先などからお茶やお酒などが出る様は、なんとも愉快で不思議な光景である。
骸骨置物(蛙貼りつけ) 骸骨インク壺
辞書のような厚い書籍の上に骸骨。
頭頂部には窪みがあり、インク壷を入れて
使われていたらしい。顎に触れると上下に
顎が動く仕組みになっている。
陶製キューピー人形
大正期に作られたキューピー人形は希少で、世界中のコレクターの垂涎の的となっている。このじきキューピー人形には裏に小判形の印で「萬古」と入っている。昭和、戦後にはこれを元に複製版が作られた。
色絵草花虫文蓮形調味料入れ 招き狸置物
赤絵置き時計 色絵鯛猫皿
Comments are closed, but trackbacks and pingbacks are open.