さて、新春も早いもので16日です。
新年会がまだ控えていますが、お正月気分は今週まででしょう。
歴史を学ぶ・・・・・・・・・久しぶりになりますが、少しでつでも進めます。
上の写真は、私がいま座っています「ばんこの里会館」事務所から道を隔ててすぐ近くにあります萬古神社の境内に建立されていrます山中忠左衛門顕彰碑の写真です。
山中忠左衛門(1821~1878)
庄助が信楽風の雑器を作り、教正師が桑名萬古志向の焼き物作りをしていた頃、
末永(現川原町)の地主であった山中忠左衛門は、本格的有節萬古の陶法による
地場産業としての四日市萬古焼の創始を考えていた。
忠左衛門は、三重郡八郷村井坂(現四日市市伊坂町)で文政2年(1821年)に生れ、
末永村の地主山中家の養子になった。
忠左衛門は当時人気のあった萬古焼再興の名工森有節の作品に興味を抱き、
それをもとめて愛玩していた。
その斬新にして精巧且華麗な有節の作品は忠左衛門を魅了した。
なんとか自らも作陶して有節のような優品を産み出したいと考えるようになった。
嘉永6年(1853年)3月、陶法の見学に訪れて昵懇になっていた教正師の協力を得て
阿倉川に窯を築いて有節萬古の研究に本腰を入れる事とした。
忠左衛門は有節同様小向の名谷山の陶土を取り寄せて研究を重ねた。
その成形、彩画、焼成についてもいろいろな試みをしている。
だが、なかなか有節の域に達する事は出来なかった。
このことに関しては、真偽のほどは、定かではないが、いくつもの話は伝えられている。
真偽のほどは確かではない、という話も含め、ようやく桑名萬古、四日市萬古と呼ばれるにいたる時代に近づいてきました。
ワクワク、ドキドキする。
歴史って人間を識ること、と思い知ります。
本日の参考文献は
四日市萬古焼史 昭和54年11月3日 発行
著者 満岡忠成
発行者 四日市萬古焼史編纂委員会