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今だからこそ33 (八)四日市萬古焼 6明治期の四日市萬古焼の原料 2


一、白土

 羽津の木半(藤井半右衛門)の所有に係る垂坂山で採掘製土した。

 この原料土は灰白色で粘着力強く、鉄分少なく、当地方には稀に見る一種独特の良土であった。

 内需用の精細な技法による煎茶器の類(木型による急須、土瓶の類は勿論、紙の如く薄く作られた手捻り作品にその真価を発揮した。)や、初期の輸出向高級品に使われ、無釉で焼き上げられて錦窯によって絵付けされた。雅味に溢れたものはこの土で作られたのである。

 残念なことに、明治二十年ごろには、その鉱脈が絶え、外来の白土に依存しなければならなくなり、製品の質も当然のように下向した。

 

二、赤土

 この原料は、瓦及び土器並びに煉瓦に使用する赤色、青色の粘着力の強い鉄分の多量に含有する当地方に広く産出するものである。これは、垂坂山、羽津で主として採掘された。

 幸いな事に、この土は枯渇する事なく現在も盛んに算出されている。

 現在では、垂坂黄土、垂坂青土の名柄で呼ばれている。垂坂山の白土が無くなる前後から登り窯の火前で作られた一般大衆向け製品用として、瀬戸、美濃方面より移入した原土に一部当地の白原土を混入したものが使われた。

 この土は分子が粗である為施釉が必要であった。(挿絵19)                                                                                                                                                                                                                              

明治時代の四日市萬古焼業者の苦労は耐火土の入手であった。古くから使われたのは、多度猪飼の硅石出会った。

 また、窯及び窯道具(サヤ、柱、サヤ蓋、ツク等)の原料については、当地方の至る所の原土の採掘試験が行われ、

   羽津の    大谷砂(硅石質、フリ粉用)

   阿倉川の   庚申山(窯道具の増量用)

   朝明川の   砂(長石の代用)

   御飴の    粘土(窯道具の増量用)   

   垂坂山の   砂(硅石質、フリ粉用)

等が使用され他は何れも不結果であった。

  次に錦窯による上絵付けの彩料であるが、これは各業者家伝として特色を誇ったようで、その明細はまちまちで不明な点が多い、これも明治十一年頃の事を伝える「製陶法雑集」の記載を次に写して見る事とする。

 

 萬古陶器彩料並びに調合法

一、白色法   玻璃22匁、鉛華13匁、珪土10匁、

二、青色法   玻璃9匁、硅土5匁、鉛華10匁、緑青2匁、 土1匁5分、黄絵2匁

三、薄青色法  緑青7匁、玻璃10匁、鉛華5匁、硅石土石3匁、伊予白目3匁

 

本日はここまでです。中途で時間切となってしまいました。調合法は12までございます。

 

 

 

 


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