四日市ばんこ焼の歴史は面白い(‐^▽^‐)
歴史はひも解くとなんでも面白いのかもしれない。
なぜ、高校生の時にこれだけの関心を持つことができなかったのかなあ、と。
私は、もっぱら社会心理学とか、青年心理学とか、思想史とかに偏っていたような記憶がある。
もう、50年以上も前の話・・・・・あっはっはは・・・・である。
私自身が 歴史になりつつあるじゃありませんか!!
紅毛趣味
ばんこ焼、いまでは 古ばんこと呼ばれていますが、はじめは有名茶陶の写しものから出発しました。
上絵付けによる赤絵ものに特色を発揮。
当時は 八代将軍吉宗による洋書解禁の令によって入ってきた蘭書による蘭学の広がりを見た時期でありました。
平賀源内を代表とする当時の知識人は競って外国の文物に憧れ、取り入れていました。
沼波弄山も同様の知識人で、オランダや異国の風物を描いたり、作品の形に工夫を凝らしました。
またまた 想像の翼がひろがりますね。
なになに、沼波弄山が小梅村で窯を開き、今川橋橋詰にあったお店で陶器を販売していた時期は、暴れん坊将軍の時期だったんですかあ・・・
先日学んだことのなかに、、今川橋橋詰のお店・・・・・・江戸の小梅村での開窯・・・
今川焼は江戸時代からのもの?????
とかとかで、少し調べてみました。
現在でも東京神田、JR神田駅東口すぐの大きな交差点は今川橋交差点であり、
小梅村は、押上村と隣接して(江戸時代の地図)いるわけで、昔昔は村でもいまじゃ、スカイツリーのおひざ元なわけなんですね。
ちょっぴりタイムスリップして 仁先生になった気分のグランマでした。
ばんこグランマ 数馬 桂子