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古萬古はうつくしい 14


早いものですね。

新年のご挨拶をしていて・・・風邪をひき・・・復帰したかなと。

本日は 恵方巻きをいただく日とか。

光陰矢の如し!!

豆まきをしなければいけません。

さてさて、学びは続きます。

 

 

 

     沼波弄山 墓所

 

古萬古はがんらい小向の名谷山(めんたにさん)の土を使ったが、向島小梅の窯でも陶土はわざわざ桑名から運ばしていた。それがしぜん高価にした原因の一つでもあるという。

 

次に古萬古の陶法であるが、要するに京焼のことに古清水の影響を濃くうけているということができる。

 古清水の中に、時々ハッと古萬古かと見紛うものに出会わすことがよくある。白掛けのあるのも、古清水とよく似ている。白掛けは、もとはと言えば、乾山が伝書で言ってるように、彼が京焼ではじめて広めたものである。

 

 乾山と言えば、乾山の釉法を伝えた「陶器密法書」の跋文に次のようにあるので、参考までに記してみる。(原文は漢文)

 

 右陶器伝法の書は、御室乾山工風の薬法なり。(中略)

弟子に清吾なる者あり、又妙手なり。乾山薬法を★く自  書し、以て清吾に授く。又萬古の祖、姓は沼波、吾左衛門と称し、弄山と号す。千如心斎の門人にして、茶道を好む。洛の旅亭に於いて清吾と交はり厚し。離別の期に臨み、乾山自筆の書を懇望して、以て還る。弄山業ますます進む。尚ほ 工風を加えて、終に萬古一流の業を開き、普く最も世に鳴る。予に至って既に三世なり。今将に尊命によって黙止難く、自書伝法の一冊を写して、以て呈上し奉る。其事を撮って巻末に記し曄。 寛政四年壬子夏五月 萬古堂三世 浅茅生隠士三阿誌

 

 

 難しさは漢字のむずかしさと比例するかも???

自分の不勉強をなげきつつ。 ばんこグランマ


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