又助の参加によって息を吹き返しつつあった萬古焼の明治十一年(1878年)の算出表は次の通りである。 萬古陶器 明治…
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「右京大坂道、左いせ参宮道」の大きな道しるべが立って居る追分が町のはづれにある四日市は、徳川幕府の参勤交代…
Comments closedこんな四日市萬古焼のルネッサンスを醸して出した忠左衛門の功績は偉大である。 少し後の話になるが、明治十三…
Comments closed多羅尾御用窯である庄助窯とは別に、田端教正師は唯福寺の境内に小さな工房を設けて趣味的な焼物を作っていた。海蔵庵窯と言う…
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