夏ですね (^O^)
久しぶりに にじいろ堂さんのランチにありつけました
それも、待ち合わせをして 二人ランチです。
お相手はグランマがグランマではなく ママとして営んでいる mamav のヘビーなお客様です。
犬連れ とも言えるかも???
とにかく、気心の知れた方とランチでした。
けっこうハードスケジュールであるし、ヴィヴィアンとエムが常に一緒の私、
(ヴィヴィアンとエムは私の家族のわんこたちの名です。)
どなたかと、ランチなんて 本当にめずらしく・・・・・・もしかすると、初めてかも???
写真を写す前に一スプーンいれてしまいましたが、マイルドなカレーでした。
デザートは、ドラゴンフルーツトッピングシャーベット
チャンプルすると シャーベットがピンクになり、ドラゴンなるもの、初めてのグランマはワ~ワ~いいながらいただきましたああああああ。
ご馳走様でした。きょうも美味しくいただきました。
有節萬古・銘印
几帳面な有節は、自身で銘印を刻んだと伝えられる。素人ながら印は完璧である。
古萬古の印を踏襲「萬古不易」丸型篆書の「萬古」があるが、字体が優しい。
普通の 萬古印は裸印は少なく中型の小判印を多用し、「摘山」 「有節」 「萬古不易」があり、
「日本有節」の印は海外への発展を希求したものである。
千秋には、別種の印がある。
ここで 森 有節について少しお勉強です。
1808年(文化5年)、1882年(明治15年)4月25日
江戸末期の萬古焼の陶工職人家。
萬古焼中興の祖。
本名は予五左衛門。 号は 摘山堂。
伊勢国桑名(現在の桑名市田町)
江戸初期は「松本屋」という古物商を営む。
沼波弄山の遠縁に当たる山田彦右衛門からすすめられ、古い萬古焼発祥の
朝日小向で、有節の弟、与平(本名 千秋、号は陽楓軒)と共に、
江戸時代 後期の1831年(天保2年)に萬古焼を再興。(有節 23歳ですね。)
有節萬古焼、朝日萬古焼と呼ばれ、古い萬古焼製品と同様、名谷山の白土と赤土を使い
古萬古を、模写いた。
時代の流れに合わせて、煎茶器に生産の主流を変え、
上絵付も、硬彩から軟彩へ変わり、粉彩・十錦手の上絵釉は艶やかで、
金を原料とする鮮やかな桜色の 森 有節 独特のピンク色の発色の開発にも
成功した。
また急須や、土瓶は、木型を使った成形に特殊な木型を使用し、
ある一定の大量生産を可能とし、薄作りや、蓋の摘みのつくりにも新風を取り入れ、
庶民など町人などの間で人気を博した。
1867年(慶応3年)国産陶器職取締役を任命された。
1882年(明治15年)4月25日に没す。享年 75歳。
とありました。
ひとつの歴史を、事物からたどり、登場人物を、個人史でたどると、
色合いがまし、息吹を感じるようになってきます・・・
なんでもそうですが、全体を大きく俯瞰し、
部分に近づいて 細部をたどると、
2次元のものが、3次元に感じるようになってきますね。
このように、高校時代に歴史の勉強をしていたら・・・・・なあんてね
そうです。
今からでも、何かを認識するときにこのように立体化できるくらいに
繰り返し重ねていくことですよね。
まるでミルフィーユ作りのようではありませんか
とても 夏 です。
皆様、おいといくださいますよう。
ばんこグランマ 数馬 桂子